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ID AN0000711X-19880300-1007
アイテムタイプ Article
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タイトル 仏像光背の装飾文様: 特に法隆寺夢殿観音像について
著者
村松 まり子 (Muramatsu mariko)
文化財学科
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学文学部文化財学科
上位タイトル
文化財学報 (Bunkazai gakuho, Bulletin of the study of cultural properties). Vol.6集, (1988. 03) ,p.57- 78
抄録 六世紀半ばに百済から日本へ仏教が伝えられると、当時の貴族らは、非常な熱心さでそれに飛びついていき、様々な仏教文物を輸入したり、また、もたらされたそれらを参考に国内で制作を始めた。
しかしこの仏教、伝えたのは百済であったが、その起源は遥か遠いインドである。紀元前五世紀にインドにおいて発祥した仏教が、中央アジアを経て、一世紀には中国に伝来し、さらに四世紀から五世紀にかけて朝鮮半島へ普及、そしてたどり着いたのが日本であった。したがって、日本へ伝えられた仏教とそれに伴う仏教文化は、その東漸の過程において、既に各地で様々な影響を受け、変化を遂げてきたものであったのだ。故に、その後、日本において造られた作品には、当然それらの特徴が色濃く残る事となった。このように、近隣諸国から、あるいは当時としては名も知らぬような遠い国からの影響の下に花開いた文化が、飛鳥文化である。
私はこの論文において、飛鳥文化を代表する作品の一つである、法隆寺夢殿観音菩薩立像(以下、夢殿観音像) の特にその光背についての考察を進めていこうと思う。この光背一つをとってみても、いくつかの国の要素が見出せるはずである。そしてそれは、大陸文化の日本への伝播を考える上での、一つの手がかりとなるであろう。また、従来光背は仏像研究の一部、あるいは文様史研究の材料として取り上げられる事が多く、光背そのものを主体として論じられたものは、あまりその例を見ない。しかし、仏教という思想と結び付いている光背を、文様の構成、様式の変化のみで語る事はできないのではないだろうか。そこには、何らかの思想的背景が存在しているはずである。したがってここでは、光背が一体どのような意味を持ち、そこに示されているものは何か、という思想的な点をも考慮した上で、その文様、並びに様式について考えてみたい。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Journal Article
Index
/ Public / 文学部 / 文化財学報 / 6集
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