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ID AN0000711X-19900300-1005
アイテムタイプ Article
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Last updated : Jan 19, 2011
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タイトル 西日本凸帯文土器の編年
著者
泉 拓良 (Izumi takura)
文化財学科
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学文学部文化財学科
上位タイトル
文化財学報 (Bunkazai gakuho, Bulletin of the study of cultural properties). Vol.8集, (1990. 03) ,p.55- 79
抄録 弥生土器に基づいて定義された弥生時代が、水田稲作の時代であり、農業社会の時代であると、山内清男氏、森本六爾氏らによって明らかにされたのは、大正時代から昭和初期にかげてであった。それ以来縄文時代は採集狩猟社会(獲得経済)、弥生時代は農耕社会(生産経済)と明確に区分してきた。このような考えと、日本民俗文化の水田稲作農耕起源説とが重なって、弥生時代の成立が日本文化の起源とみなされるようになった。そして、縄文文化は先住民的な文化として、日本史の片隅に追いやられてしまったのである。
しかし、昭和五三年から始まった福岡市板付遺跡の一連の発掘調査によって、縄文晩期の終末に編年されていた凸帯文土器の時期に、水田稲作や大陸系磨製石器類、木製農耕具など、弥生時代に特徴的な大陸伝来の要素の出現することが明らかにされた。この事実を北部九州における水田稲作文化、すなわち弥生文化成立期の短期的局地現象と理解するのか、西日本全域すなわち縄文時代の凸帯文土器圏全域で起こった縄文文化の変質の一部とみなすのか、が問題となった。この問題は、一方において、弥生時代と縄文時代との時代区分を、その出発点であった土器によって区分すべきであるという立場の研究者と、その生産様式や社会組織によって時代区分すべきであるとする研究者とのそれぞれと結びつき、複雑な展開をみせているのが現状である。
筆者は、森本六爾氏が言明したように、弥生時代は農業社会が確立した時代と定義する。そして、朝鮮半島からもたらされた水田稲作技術体系が、凸帯文土器期の縄文社会に、地域差をもちつつも、急速かつ広範囲に受容され、縄文社会が変質していった様相を追求することを最終的な目的とする。本稿では、その目的を達成するための前提となる凸帯文土器の編年をおこない、次いで凸帯文土器からみた問題点を整理する。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Journal Article
Index
/ Public / 文学部 / 文化財学報 / 8集
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