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閲覧数:3242
ID |
AN0000711X-19910300-1004 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN0000711X-19910300-1004.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 289.8 KB |
Last updated |
: Jan 19, 2011 |
Downloads |
: 2086 |
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タイトル |
初期須恵器窯の系譜について: 大蓮寺窯跡を中心にして
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著者 |
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学文学部文化財学科 |
上位タイトル |
文化財学報
(Bunkazai gakuho, Bulletin of the study of cultural properties).
Vol.9集,
(1991.
03)
,p.25-
35
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抄録 |
日本における初期須恵器の窯跡は、近年各地で確認されている。かつて初期須恵器の窯跡は、陶邑古窯趾群(以下陶邑窯とする) ・一須賀窯跡に限定されていたことから、田辺昭三氏は「日本で須恵器生産が開始されたときから、地方窯が成立するまでの最初の数十年間、須恵器は陶邑とその周辺から、一元的に供給されていたということができる」とした。しかし、その後の調査が進展していくなかで、数多くの初期須恵器の段階の地方の窯跡が発見され、矛盾が生じてきたのである。
その矛盾点は、第一に地方窯成立の時期がさかのぼる点である。第二には、北部九州に見られるような、陶邑窯とは異系譜と考えられる窯跡の存在が明らかになったことである。こうした点から、地方窯の成立は、これまでのように全てが陶邑窯を経由することなく、朝鮮半島から直接的に渡来した工人によって生産が開始され、日本における須恵器生産が「多元的」に行われたとする、いわゆる「多元論」の提唱が行われた。
筆者はかつて、「初期須恵器窯の解釈をめぐって」と題して、この「多元論」の整理を行い、陶邑窯と系譜を異にするといわれていた窯跡の検討を行った。それは、各報告者が系譜の違いの根拠として強調している陶邑窯との相違点について、逆に共通点を重視する必要性を述べ、陶邑窯内での型式変遷の範囲で把握出来る点を指摘し、必ずしも北部九州を除く他の一群は、陶邑窯と異系譜とは断定出来ないと言うものであり、陶邑窯からの影響を再考する必要性を説いた。特にここでは、愛知県東山一一一号窯跡、東山一二八‐I (四八)号窯跡を例にあげ比較検討を行ったが、他の窯跡については十分な検討を行う余裕がなかった。従って、小稿では、同様な点について、宮城県大蓮寺窯跡に焦点を当てて、系譜の問題を再検討することを目的とする。尚、小稿で使用する初期須恵器の名称、および「多元論」の現状・問題点などの詳細は、前稿に記している。ご参照いただきたい。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Journal Article |
Index |
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