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詳細
閲覧数:2914
ID |
AN0000711X-19950300-1010 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN0000711X-19950300-1010.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 421.9 KB |
Last updated |
: May 10, 2013 |
Downloads |
: 3719 |
Total downloads since Jan 20, 2011 : 3880
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タイトル |
最古の須恵器型式設定の手続き
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著者 |
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学文学部文化財学科 |
上位タイトル |
文化財学報
((Bunkazai gakuho, Bulletin of the study of cultural properties).
Vol.13集,
(1995.
03)
,p.123-
138
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識別番号 |
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抄録 |
日本における最古の須恵器型式は、一九六〇年代以降の陶邑古窯趾群の調査・研究を基に、TK七三号窯跡等の遺物の一群をもってTK七三型式と命名された。この判断は、現段階においても大きな変化はなく、最古の一群を示す指標になっている。しかし、一九八六年に始まった大庭寺遺跡の調査において、これまで認識されていたTK七三号窯跡には含まれない多くの遺物が出土し、TK七三型式の再検討と再編成が必要になってきた。小稿ではこうした中において、初出段階の須恵器の相対的な位置付けの確認が必要と考えるため、最古型式の認定とその考え方を整理して、初期須恵器研究の一助とすることを目的とする。最古段階の須恵器の解釈としては、TK七三号窯跡の前に大庭寺遺跡のT G二三一・二三二号窯跡が存在し、その後TK七三号窯跡が成立したとする考え方が優勢であるが、一方では両者をほぼ同時期として、内容の違いを朝鮮半島での系譜の違いとして認識する二者がある。また、TK七三・TK八五・TK八七号窯京跡や一須賀二号窯跡の相対的な年代の一部についても意見が分かれており、具体的な変遷の解釈が示されていないのが現状である。これは、遺物の解釈論である型式学的な理解とともに、最終的には消費地の遺跡での出土状況や分析を通して裏付けられるものであるが、これまでの先学の研究成果と型式学的方法を基に、まず具体的な方向性を示すことが重要である。
幸いにも近年、大庭寺遺跡の出土遺物とTK七三号窯跡の資料を埋める遺跡として、ON 二三一号窯跡が調査され報告書が刊行された。
次章で紹介するように、TK七三号窯跡の成立と変遷を理解する上で非常に好資料である。初出段階からその後の須恵器の変化を合理的かつ具体的に把握できる内容をもち、前述の問題を解決する糸口をもっているため、小稿では中心的にとり上げていくことにする。また、大庭寺遺跡の資料に関しては、その一部が公表されているものの、窯跡の灰原資料は現在整理中であるため、の必要なものに留める。引用するものは灰原以外の出土の必要なものに留める。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Journal Article |
Index |
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