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閲覧数:3148
ID AN0000711X-20080300-1002
アイテムタイプ Article
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画像
本文 未公開
タイトル 平安時代の花文に関する一考察
著者
栗田 美由紀 (Kurita miyuki)
文化財学科
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学文学部文化財学科
上位タイトル
文化財学報 (Bunkazai gakuho, Bulletin of the study of cultural properties). Vol.26集, (2008. 03) ,p.1- 30
識別番号
ISSN
09191518
抄録 図1は奈良国立博物館に蔵される牛皮華婁の文様である。ここにみられるような花文は宝相華と呼ばれ、平安時代後期に流行した装飾文様の一つとしてよく知られている。花文は斜め上から見下ろした形の一重咲きで、凹みのある五~六枚の花弁からなり、花芯には細かい蕊や小さな花弁形がつく。浅い切れ込みのある葉や、側面から見た形の八重咲きの花文とともに唐草の構成要素の一つとしてあらわされることが多い。この花文の発生や展開の様相については、これまでほとんど論じら
れてこなかったが、その基本形を五~六弁の一重咲きで斜め上から見下ろした形の花ととらえると、原型はすでに奈良時代にあり、さらに盛唐期の中国にまで遡ることができる。ただ、図1としてあげた文様は同時期の中国・宋代の文様とは大きく異なっており、このことから、平安時代後期に盛行したこの花文は、盛唐期の中国の文様を祖型として日本で独自の変化を遂げ、成立したものと考えられる。だとすれば、その伝来から完成までの変遷をたどれば、装飾文様における日本化がどのように進んだのか、その過程の一側面を明らかにすることができるのではないだろうか。
筆者は以前、延喜十九年(九一九)制作の仁和寺蔵宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱の文様に、中唐〜五代の装飾文様の要素があることを明らかにし、装飾文様の日本化はほぼ同時代の大陸の影響を受けながら進んだ可能性を指摘した。このことから、平安時代後期に流行する侑鰍形の花文の成立にも、九世紀以降の中国の文様が、少なからず関わっているものと予想される。
そこで本稿では平安時代後期に流行した花文が、中国の文様とどのような関係性を持って成立し、完成へと至ったのか、八世紀から十二世紀までの作例を順次あげ、花文とその周辺に用いられる文様要素を中国の作例と比較検討することで、装飾文様の日本化の過程について考えてみたい。
なお、本稿で取り上げる斜め上から見下ろした形の一重咲きの花文は、一般に宝相華と呼ばれるが、宝相華は空想上の多様な形の花文を広く指す言葉であるため、本文中では傭鰍花と表記する。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Journal Article
Index
/ Public / 文学部 / 文化財学報 / 26集
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