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詳細
閲覧数:1953
ID |
AN00181569-19811200-1005 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-19811200-1005.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 306.5 KB |
Last updated |
: Nov 29, 2010 |
Downloads |
: 1365 |
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タイトル |
金剛山地東麓の用水分配組織: 奈良県新庄町寺口の時水について
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別タイトル |
The Irrigation System at the East slopes of Kongo mountains: In the case of Tokimizu on Teraguchi of Shinjyocho |
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著者 |
野崎 清孝
(Nozaki kiyotaka)
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文学部
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.10号,
(1981.
12)
,p.48-
56
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識別番号 |
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抄録 |
複数の村落を連らねる水利集団やそれぞれの村落の内部における水利には取水,配水などの地域的秩序が古くから確立している.とくに奈良盆地のように乏水性の短小河川や小型溜池に多く依存しているところでは農業用水の利用をめぐって番水制度などの水利慣行が伝統的に継承されてきた.番水はもともと水稲の生育期間の乏水時にとられてきた特別の配水法で一定の順序にしたがい時間的にまた分水施設によって水量を規則正しく分つ方法である.
番水制度のなかでもとくに厳密かつ周到な慣行としての時水がある.村落内部において耕作者ま1こは耕作者集団単位に水田面積に応じて比率を定めてそれぞれの耕地に順序を決めて配水する方法である.したがって耕作者または耕作者集団は比率から算出された時間帯の中でそれぞれの耕地への引水をはかることになる.算出された配水時間はもともと属地的すなわち耕地に付随していたものと考えられ,やがて便宜的にそれぞれの耕地を耕作する者ごとに時間が集計されることになった.時水はかつてかなり広い範囲にわたって行なわれていだ慣行であるが,近世以降の溜池の増築や近時の吉野川分水の導入によって灌概用水に余裕を来たし次第に消滅した.現在もなお行なわれているかまたは比較的最近まで行なわれていた地域としては鹿野園(奈良市)・槍原(御所市)箸中・巻野内(ともに桜井市)などがあげられよう.時水は村落内部における内輪の慣行であるため時割に関する記録などは村落間のとりきめを規定した水利史料のように長く保存されることがない.そのためその起源または過去の経過にまでさかのぼることは困難で,現行の実態を通じて明らかにすることになる.本稿は今日なお時水が実施されている北葛城郡新庄町寺口を選び,大字全体の水利構造を明らかにする中で,とくにこの時水をとりあげようと考える. |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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