奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.10号,
(1981.
12)
,p.110-
120
識別番号
ISSN
03892204
抄録
如来蔵・仏性の思想がもともとどのような関心のもとに,いかなる仕方で,どのようなところに力がこめられて鼓吹されてきたか.筆者の企図したいのは,それを如来蔵系経典や論書の中で検討し,更にそれが例えば,日本仏教思想史上,独自な思想を展開する親驚や道元にどのように関係していくのかを跡づけてみるということにある.しかしここで,その全てを直ちに扱う用意はない.まず,『如来蔵経」を取り上げ経典に即して,そうした観点から検討するに止まる.検討に先立ちテキストについて一言しておこう.諸経録によると,本経の漢訳は四訳あったとするが,現存するのは次の古・新二訳である.
東晋仏駄践陀羅訳『大方等如来蔵経』(大正・16.457.a~460.b)
唐不空訳『大方広如来蔵経』(大正・16.460.b~466.a)
サンスクリット原典は現存しないが,チベット訳が存在する.
hphags pa de bshin gsegs pahi sni po shes bya ba thegs pa chen pohi mdo, trans.
by Sakyaprabha, Ye-ses-sde (影印西蔵人蔵経36・240.1~245.5)
以下の検討は一応チベット訳によりながらも漢訳者の理解を重視して考察を進める.