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ID AN00181569-19811200-1018
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Last updated : Nov 30, 2010
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タイトル 特異な小札を配する眉庇付冑について
別タイトル
On the Visored helmet with unusual Kozane
著者
植野 浩三 (Ueno koso)
文学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.10号, (1981. 12) ,p.178- 188
識別番号
ISSN
03892204
抄録 眉庇付冑は,5世紀中葉前後から後半にかけて頻繁に製作・使用された武具の1つである.眉庇付冑がこの時期に出現し,きわめて短期間のうちに衰退する現象は以前より注目されている事であり,その研究も過去幾多の成果が発表され,1時期を代表する特徴的な遣物となっている.
今回紹介する眉庇付冑は,大阪府東大阪市上六万寺町・六万寺往生院に寺宝として保管されているもので,往生院住職川口立誠氏,ならびに寺院関係者の特別な御配慮を受けて発表させていだだくことになった.寺伝によれば,この眉庇付冑は,1350(天正5)年,高師泰,高師直の軍を迎え討って敗死した楠木正行(正成の子)の遺品として伝えられているが,冑の形態,製作技法を検討するまでもなく,古墳時代の遺物として取り扱われるものである.
眉庇付冑の出土地点,出土の時期については,現在の段階においてまったく不明であるが,今1つの手がかりとして次のものがある.『大阪府史蹟名勝天然記念物』第3冊(1927年)には,往生院に関して「維新の頃までは此地方に古墳墓も多く,又田圃の間より古武器を発掘せしが……」とあり,また「寺宝のおもなるものは,(中略)小楠公の遺物と称する甲冑,……」と記されている.一方,『中河内郡誌』枚岡村・大字四条の項(1922年)によれば,四条畷の戦に関連して次のような記述がある.「嘗て喜里川辺にて白骨及鉄器の朽片等発見せり……」と,そしてこの地を正行が敗死した地と定め碑を建立する.その着工の際に「地中より瓶詰にせる人骨,及び数多の武具の破片現れ出でければ……」と記している.これらの記録に従うならば,いずれの場合も多少の鉄製品を出土しており,当眉庇付冑の出土地点の推測を可能にしている.喜里川辺の場合,多量の鉄器の発見からこの地を楠木正行の戦死の地とし,「小楠公廃骨之所」という碑を立てている.往生院保管の冑が楠木正行の遺品という伝承を重視するならば,出土地点を当地に比定するのが一番妥当と考えられる.また,武具という名称を用いていることも有力な根拠になりえるわけであるがこの記述のみにおいて推定することはいささか危険が大きいといえ,即断を避けたい.いずれにしても,『大阪府史蹟名勝天然記念物』第3冊が刊行された1927年には当眉庇付冑は存在したわけで,それ以前に喜里川近辺(現在の額田近辺か),あるいは往生院付辺の古墳より発掘された遺物として考えておきたい.
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 10号
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