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ID AN00181569-19831200-1019
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タイトル 義和団事変と栄禄: 講和全権任免問題を中心に
別タイトル
The Boxer Uprising and Jung Lu: on the Appointment and Removal of the Plenipotentiary at the Peace Conference
著者
菅野 正 (Sugano tadashi)
文学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.12号, (1983. 12) ,p.13- 26
識別番号
ISSN
03892204
抄録 一九〇〇(光緒二十六、明治三十三)年夏、華北を中心に展開された義和団運動において、とくに六月より約ニケ月間の北京公使館区域攻防をめぐって、軍機大臣栄禄(仲華、文忠)が、外国公使や公使館防衛に尽力したことはつとに評価されている。もともと義和団を信頼せず、その活動を抑止しようとしていた栄禄は、とくに公使館攻防戦が持久戦になってから以降は、確かに国家の滅亡を救うべく、公使館防衛のために苦脳し、努力した。この点は内外の研究者によって実証されている所である。
しかし一方で、当時の宮廷内部の事情を伝える資料として有名な『景善日記』には、栄禄に対する弁護的な記述が多く、今日では、義和団事変に対する栄禄の立場を有利にするために捏造されたもの、即ち栄禄が外国側から責任を免れるため、その党派に代纂を命じたもの、その時期は、連合軍が公使館を救出した後、栄禄が保定に滞留していた期間に違いと推定されている。『景善日記』はその他の理由からもその信葱性がほぼ否定され、偽作とされている。
すると、何故彼がその党派に命じて資料を偽造までして、その立場を弁護しなければならなかったのかが、当然問題となってくる。彼は義和団事変時に如何なる役割を果したのか、列国側はそれをどう受けとめていたのかが、問題となってくる。或いはまた一方で、栄禄は講和会議開始に際し、一たびは李鴻章、慶親王、張之洞、劉坤一とともに講和全権委員に任命されながら、彼の軍隊が公使館攻撃に加った理由により、列国側の反対で、すぐさま解任されるという一幕もあった。
これらの点について少しく検討してみたいのが、小論の目的である。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 12号
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