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ID |
AN00181569-19861200-1003 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-19861200-1003.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 649.8 KB |
Last updated |
: Nov 8, 2010 |
Downloads |
: 9144 |
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タイトル |
日英表現比較考(II): 「英語らしい表現」への一考察
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別タイトル |
A Comparative Study of Expressions between English and Japanese: in search of 'Englishness' |
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著者 |
小林 永二
(Kobayashi eiji)
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教養部
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.15号,
(1986.
12)
,p.16-
38
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識別番号 |
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抄録 |
本稿では,日英両語の表現の相異について種々の角度からこれに肉迫せんと試みているわけであるが,日頃英語教育に携わる者の一人として,日英両語の表現上の相異を痛感させられるのは,やはり翻訳作業,特に英文和訳の際にその感が深い.勿論,和文英訳に於いても当然その相異を感じる筈のものであるが,如何せん和文英訳では,その翻訳者の実力に応じた英文しか書き表わせないわけであるから,その出来上った英文が多分に「和臭」を残したものである場合も多く,必ずしも,和文英訳の作業からだけでは真に「英語らしい表現」に触れ得るわけではない.その点,英文和訳の場合では,原文の英文が,教養ある英米人(つまりはnativespeakerの意である)によって書かれたものである限りに於いて,十分に「英語らしい表現」に満ち溢れた文章であることが期待されるわけのものであろう.その場合,一旦元の英文を直訳してみても,どうも日本語の表現としてはシックリしないと言ったケースが大半である.これはつまりは,それだけ元の英文の表現と,こなれた,普通の,ムリのない和文の表現との間には越え難いミゾのある事実を証していることに外ならない. |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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