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ID AN00181569-19930300-1008
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タイトル 兼業農家・高齢者・婦人による野菜産地の可能性
別タイトル
Considerations on the Japanese Vegetable Production by Women and Old men.
著者
坂本 英夫 (Sakamoto hideo)
文学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.21号, (1993. 03) ,p.107- 117
識別番号
ISSN
03892204
抄録 かつては、筆者の念頭には、冒頭のような立題はまったく存在しなかった。兼業農家の卓越する地域と野菜の産地との間には逆相関の関係があった。今日でも大筋においては正しいと言えよう。経済の高度成長期において、都市化の進展したところ、工場の進出したところは、それに伴って野菜生産をはじめとした集約的な農業が衰退していった。しかし、それにもかかわらず、局地的にではあるが若年男子基幹労働力の減ったところでも、野菜生産が何とか継続されたり、あるいは新規な品目の生産が始まったりするのに出会うようになった。その現象については、報告したこともあるが、特に重視したわけではない。経済の論理に従えば、青壮年男子が基幹労働力である専業農家こそが生産力も高いし、将来も我が国農業の主軸となることが正しいに決まっている。しかし、現実の圃場では高齢者や婦人の姿が目立つ。それを見れば、高齢者・婦人の力を再編成して、低い生産力を少しでも高め、可能な範囲まで彼らの活躍の場を拡充できないものか、という意見が帰納して出てくるはずである。
本稿の立題については3つの立場がある。第1は、高齢者・婦人は筋力が弱く、農業生産の主力として期待するのは間違いである、とする立場である。したがって「不可能」という考えで終始する。この立場は農水省の農政関係者やそれに追従する一部の大学人に見られる傾向である。第2は、前者と逆に可能性があるとする立場である。これは、現場に直結した農業改良普及所や農協の関係者に比較的多い。第3は、第2の立場に近いが、かなりの限定条件を付けて、高齢者・婦人による農業にある程度の可能性を与えるものである。本稿はこの第3の立場に立って問題点を整理することにした。
題名にもあるように、本稿では農業生産の担当者を、農家(fa㎜ family) と労働力としての人を一応並べて論じている。一般にこの種のテーマは「兼業農家」問題として取り扱われることがあるが、「兼業農家」や「専業農家」の内情を調べると、それでは不正確なことがわかる。家族全体(family)としてではなく、誰がその家の農業を担当しているのかが大切である。具体的には、「高齢者」や「婦人」の細かい分類まで踏み込まなければならない段階にきているが、いまなお、「兼業農家」の問題として取り上げている報告が多いので、そこから出発することにした。「婦人」という語は古めかしいので、「女性」と呼称すべきだとする説がある。進歩的な思想の人は「女性」の語をとる傾向がある。テレビでも、若い「婦人」とは言わずに、若い「女性」と言っている。
「婦人」とは、①成人した女性、②結婚した女性、を言うので、「女性」より意味の幅が狭い。農家の婦人と言う場合、これら①②の意味・語感から一定のイメージが浮かび上がってくる。多くの論者が「婦人」の語を使用しているのは、必ずしも守旧思想にもとつくのではなく、このイメージに由来するのではないかと考えられる。筆者も慣習に習って「婦人」の語を使用する。一方、新聞等では「老人」問題とか「お年寄り」という語が使用されるが、「老人」の老の語感はマイナスイメージが強いので避け、「高齢者」を使用する。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 21号
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