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ID AN00181569-19930300-1017
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タイトル 日本における初期須恵器生産の開始と展開
別タイトル
Commencement and Development of Early Sue-ware's Production in Japan
著者
植野 浩三 (Ueno koso)
文学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.21号, (1993. 03) ,p.221- 235
識別番号
ISSN
03892204
抄録 須恵器の生産技術は、古墳時代の中期、朝鮮半島から新たにもたらされたものである。この技術は、いち早く近畿と北部九州で開花し、生産を開始している。それは、日本における窯業史の起点といえる。こうした初期を含めた須恵器生産の研究は、1960年代以降の陶邑古窯趾群(以下、陶邑窯という)の本格的な調査によって得られ、初期の一群の須恵器の把握が可能になったことによっても、より活発になっていった。もちろんそれ以前にも、森浩一氏の「和泉河内窯」の須恵器の編年や、横山浩一氏の古墳出土資料を用いた須恵器の編年研究等のすぐれた業績が多くあり、陶邑窯を中心とした須恵器編年を組み立てる上で、基礎的な資料になっていたことも認めねばならない。陶邑窯の調査・研究では、編年研究の部分がクローズアップされがちである。もちろん型式学的に整理して、その序列を大別することによって画期を設け、須恵器を全体的に見通した業績は高く評価されなければならない。さらに、こうした成果に裏付けされて、全国的な生産の開始と供給のありかたの考察や、政治的・社会的な諸関係の考察が可能になり、古墳時代を組み立てる上で重要な視点を示したことも忘れてはならない。初期須恵器と地方窯成立の解釈も、その重要な部分を占めていた。すなわち、地方窯が成立するまでの間は、須恵器は陶邑窯とその周辺から一元的に供給されていた、とする見解である。そして、それらの須恵器は政治的なルートにのって供給されたとする、古墳時代の社会的な構図を示すに至った。その後、地方窯の成立に関する認識は、大きく変化していった。初期須恵器の段階の窯跡が相次いで発見されていき、一元的供給の解釈と初期須恵器の名称においても矛盾が生じた。いわゆる「多元論」の提唱である。この「多元論」は、論旨の不明瞭な部分が多いため、筆者は二度にわたって整理し、問題点の指摘を行った。ここでは特に、問題点の指摘の他、系譜論の反論として陶邑窯の資料を並列し、陶邑窯との共通性の指摘と再認識を行い、再検討の必要性を強調することに力を注いだため、日本全体としての、須恵器生産の開始と、展開については述べることは出来なかった。初期須恵器窯は、今後なお多数発見されることが予想できる。こうした段階で、日本における生産の全体像を描くには、大いに危険が伴う。しかし、すでに16箇所以上にものぼる窯跡が確認されており、具体的な整理をする時期にきている。単に初期須恵器窯の多さを騒いで、不明瞭な「多元論」の枠のままで温存することは許されない。系譜はいくつかに別れて成立したとしても、その展開を捉え、古墳時代の中に位置づける必要があろう。したがって、小稿ではそうした視点に立ち、日本における初期須恵器生産の展開について考えていきたい。なお、初期須恵器の定義については、筆者は前に論じたことがあり、ここでは触れない。前稿を参照いただきたい。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 21号
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