奈良大学リポジトリ

| Home Login |

XooNIps検索
  
     詳細検索

インデックスツリー

詳細



閲覧数:2387
ID AN00181569-19970300-1006
アイテムタイプ Article
このアイテムを表示する
画像
本文 AN00181569-19970300-1006.pdf
Type : application/pdf Download
Size : 428.9 KB
Last updated : Dec 2, 2010
Downloads : 2234

Total downloads since Dec 2, 2010 : 2234
タイトル 大和国宇陀郡松山町における元禄期の町割と屋敷地割
別タイトル
The form of a block and the plotting of a block in tradesmen's house district in Matsuyama, Uda, Yamato-no-kuni, in Genroku era.
著者
土平 博 (Tsuchihira hiroshi)
文学部
Publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.25号, (1997. 03) ,p.87- 103
識別番号
ISSN
03892204
抄録 大和国宇陀郡松山町は,現在の奈良県宇陀郡大字陀町内にあたる。松山町は,中世以来,山城の城下集落として発達し、近世になって、織田氏入封により城下町として整備された。ところが、元禄8年(1695)に織田氏が改易のうえ丹波国柏原へ移封となって、松山藩は廃藩となった。織田氏の居館や侍屋敷は即座に取り壊されて、その跡地は耕地へと転用された。一方、町屋敷地区に相当した松山町は、その後も在町として存続した。
 松山には元禄16年(1703)に作成された検地帳が残されている。本稿では、この検地帳を用いて、当時の町割と屋敷地割の復原をおこなうことを主たる目的とした。14町に分かれる松山町を、各町ごとに検地帳の記載に沿いながら、屋敷地を配列してみると、概ね、復原が可能であることが明らかとなった。復原の結果、明治期の地籍図にみられる町割や屋敷地割とかなり整合するので、それは元禄期の町割や屋敷地割が明治期まで踏襲されているものとみてよい。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 25号
関連アイテム