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ID |
AN00181569-19990300-1003 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-19990300-1003.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 276.4 KB |
Last updated |
: Jan 12, 2012 |
Downloads |
: 1674 |
Total downloads since Dec 21, 2009 : 2102
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タイトル |
青少年の"いじめ"に対する一考察
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別タイトル |
A thought concerning the pupil's "ljime" in Japan |
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著者 |
森山 宏美
(Moriyama hiromi)
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教養部
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良大学 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.27号,
(1999.
03)
,p.25-
34
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識別番号 |
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抄録 |
"いじめ"という問題が、教育界を中心に各界に波紋を投げかけてから久しい。そしてこれという解決策も出ぬまま、事態は悪化するばかりで、そのプロセスも、陰湿で残忍なものとなりつつある。"いじめ"を取り上げた著書も加害者また被害者をそれぞれに批評、批判し、解決策をそして一日も早い指導方法の発見に力をそそいでいると感じられる。しかし、この問題のゆくえを追ってきた筆者にとって、ひとつの疑問が芽生えてきた。被害者にハマってしまう青少年、加害者にハマってしまった青少年と言う二面の立場からこの問題を追跡するとすれば、根本から我々が見逃している点があるのではないか。ひとりの人間が、混沌とした心の働きの中で、時として被害者に、時として加害者にハマってしまう。それが、生身の人間であり、人間の心の有り様なのではないかとゆうことを置き去りにして、ただただ動揺しているといえまいかと言う疑問である。ありのままの心の姿から目をそらさず、ここでもう一度、"いじめ"と言う問題を再考してみたいと筆者は考えている。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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