奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.35号,
(2007.
3)
,p.1-
12
識別番号
ISSN
03892204
抄録
『避雷針売りの男』(The Lightning-Rod Man, 1854)は、ハーマン・メルヴィ(Herman Melville, 1819~91)の最も短い短編の一つであるが、単純なストーリーの表面下により深い意味を持つものになっている。この作品は、専ら会話で構成されまたより深い重要な意味が隠喩によって呈示されているという点で、メルヴィルの短編の中でもユニークである。語り手と避雷針売りの男の間でなされる議論は、互に根本的に相容れない生き方や信念に基づくものであり、対立する二つの生き方や信念の相剋を意味するものに他ならないのである。両者共に、登場の初めから、それぞれ独自の生き方や信念を持ち、共に最後まで怯むことなくまた屈伏することもなく議論を続ける。語り手が避雷針を拒む理由は、ただ単にその必要性がないからに過ぎない。彼は、既にある種の自己満足的な世界に身を置き、自然の脅威に身をさらし決然と立つのである。自然界の営みのただ中に彼自らが一種の避雷針と化しているからである。このような人物は、この短編のタイトルとは無関係に、『白鯨』(Moby-Dick, or The Whale, 1851)の主人公エイハブ(Ahab)を想起させるところがある。しかし、彼の生き方や信念そのものはエイハブのそれとはむしろ対抗的なものであるように思われる。以上のような特徴を持つ『避雷針売りの男』は、メルヴィルの代表的な短編の一つであり、その具体的な特徴と作品の持つ意味について検討してみたい。