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詳細
閲覧数:1117
ID |
AN00181569-201902-1005 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-201902-1005.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 4.2 MB |
Last updated |
: May 27, 2019 |
Downloads |
: 1704 |
Total downloads since May 27, 2019 : 1704
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タイトル |
環状盛土遺構造営社会から農耕社会への移行に関する研究
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別タイトル |
Study on the transition from Kanjiomorido (ring-shaped earthen mound) bild society to agricultural society |
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著者 |
小林, 青樹
(Kobayashi, Seiji)
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奈良大学文学部
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
No.47
(2019.
2)
,p.65-
77
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識別番号 |
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抄録 |
" 関東平野には、縄文時代後期から晩期(前2470年-前1250年頃)にかけてつくられた環状盛土遺構がみられる。その一つである中根八幡遺跡は、栃木県栃木市藤岡町に所在する。この遺跡の調査によって、環状盛土遺構造営社会から農耕社会への移行に関する新しい知見を得ることができた。
環状盛土遺構造営社会から農耕社会への移行を示す環状盛土遺構の終焉は、縄文時代晩期(前1000年頃)に生じた。これ以前の関東地方の縄文時代後期は、狩猟採集民の複雑な社会があり、環状盛土遺構はその周辺の集団が集合して造営したと考えられる。こうした環状盛土遺構造営社会が瓦解して以後、縄文時代晩期社会になると大陸に起源するアワとキビの栽培がはじまることから、環状盛土遺構造営社会の終焉は、農耕社会への移行と大きく関わると考えられる。
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キーワード |
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言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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