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詳細
閲覧数:1609
ID |
AN10086451-19921200-1006 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN10086451-19921200-1006.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 560.4 KB |
Last updated |
: Dec 14, 2010 |
Downloads |
: 1747 |
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タイトル |
十二世紀初期のフランドルにおける政変とエランバルド一族
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著者 |
守山 記生
(Moriyama norio)
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史学科
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学史学会 |
上位タイトル |
奈良史学
(Nara shigaku : Nara journal of history).
Vol.10号,
(1992.
12)
,p.97-
111
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識別番号 |
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抄録 |
前世紀から、プラソシポーテ胃ぎo号〇三ひとしては、かなりよく統治されていたフランドル領内において、伯が暗殺された。しかも相当の役職にあったとはいえ、伯の不自由家士の一族によってである。例えば、フラソスの貴族の一族などについては、その親族構造などを明らかにすることによっていかなる政治的イソパクトを与えたかといった研究は、かなり見受けられるように思うが、支配者とその不自由家士の一族の関係がもたらした諸問題は寡聞にしてあまり検討がなされていないのではなかろうかと思う。この小論は、同時代史料を使い、一一二七年を主にして、フラソドル伯暗殺とその前後の彼の不自由家士の一族の興隆と没落とから、当時の主としてフランドルの政治的状況について考えたい。なお、フラソドル伯領は、ドイツ帝国領とも接しており、ドイッでは周知のようにアルカイックな社会体制が依然として温存され、戦士階級内部では、自由民、不自由民の区別が本稿でとりあつかう当時においても残された。一方、フランス王国では、戦士階級内部において、自由民、不自由民の区別は当時もはや重要な意義を失ってしまっていたと考えられている。従って、フラソドル伯領はどちらかといえばドイツ帝国型とも言い得ようが、フラソス王国の大封土であり、史料の関係もあって、あえてフラソス王国側からみて行くことにする。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Journal Article |
Index |
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