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ID AN10403791-20030300-1020
アイテムタイプ Article
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本文 AN10403791-20030300-1020.pdf
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Last updated : Dec 5, 2012
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タイトル 奈良盆地にみる祭祀空間一奈良盆地を中心に一
著者
上野 誠 (Ueno makoto)
奈良大学文学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学総合研究所
上位タイトル
総合研究所所報 (Bulletin of Research Institute). Vol.11号, (2003. 03) ,p.209- 210
識別番号
ISSN
09192999
抄録 本研究においては、旋頭歌の形成過程を取り上げることとした。旋頭歌は柿本人麻呂によってくふうされた歌体であることについては、早くに武田祐吉の指摘があり、本研究もこの仮説を検証するかたちで進めることとなった。上記の仮説に立って万葉集を精査すると、面白い事実に出くわす。それは、旋頭歌体が人麻呂の若き日において、人麻呂自らによって生成された歌体であるという事実である。対して、さらに万葉集を精査すると、次のような事実も見出せる。万葉歌に登場する穴師と巻向関係の地名が、この人麻呂の若き日の歌にしか登場しないという事実である。ちなみに、穴師と巻向については諸説があるが、現在の天理市内に比定できる。つまり、人麻呂の若き日の活動基盤の一つが当該の地域にあったということである。とすれば、その地域での作歌活動のなかで生成された歌体こそ、旋頭歌ということになる。さて、この旋頭歌については、古く折口信夫が神との「問答」を中心とする神事歌謡から出た歌体である、という仮説を発表している。当該の地域は、古代において山人の往来する地域として有名であった。そして、なによりも重要なことは、当該地域が古代の大和王権の発生と深く関わる地域であったという事実である。とすれば、大和王権の基盤となる地域において、7世紀の後半に人麻呂が独自に生成した歌体が旋頭歌であるということができる。神に扮して蔓をつけて山から里に下りてくる山人、その山人と問答する祭祀がこの地域で行われていたことは旋頭歌を考える上で重要であろう。さらには、こういった神観念の形成が、奈良盆地生活者の空間概念と密接に関わっていることも、指摘することができる。つまり、山辺の道に山人がやってくるからである。以上の予備的考察をもとに、本研究では旋頭歌の「問答体旋頭歌」の研究を具体的に進めることにした。なぜならば、ここまでの考察は、発生論的な仮説に過ぎず、表現からの具体的研究ではないからである。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 総合研究所所報 / 11号
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