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詳細
閲覧数:1361
ID |
AN10533924-20020300-1007 |
アイテムタイプ |
Article |
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タイトル |
オオナムチ神習合論
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著者 |
三好 悦子
(Miyoshi etsuko)
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奈良大学大学院生
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学大学院 |
上位タイトル |
奈良大学大学院研究年報
(Annual reports of the Graduate School of Nara University).
Vol.7号,
(2002.
03)
,p.67-
72
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識別番号 |
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抄録 |
オオナムチをめぐっては神名の表記.訓注も様々である。そのため諸説が入り乱れ、今なお定訓をみていない。仮名諸例では、オオナムチしかみられないが、同じ「大己貴」の訓については、『日本書紀』(以下、『紀』と略記)八段一書第二段には「於褒嫡郷武智」と訓注がつけられ、また『古語拾遺』では「於保那武智」とあるなど訓・名義とも容易に決定しがたいところである。オオモノヌシは『記』『紀』両者に渡って崇り神の性質を持つ神として描かれている。アシハラシコヲも『記』『播磨風』においてその伝承を伝え残している。オオクニヌシの「亦の名」で語られる他の神々も、多くの側面を持ち様々な地域とのつながりをみせている。本稿において考えてみたいのは、オオクニヌシという名に習合されたにもかかわらず強大な力を全国的に広めたオオナムチと崇りが神オオモノヌシの関係についてである。『記』のオオナムチとオオモノヌシは同時代に記述されることなく国神の強大な神のシンボルとして、オオナムチからオオモノヌシへと移っているように思われる。この背景には一体何があるのだろうか。また、『記』がオオモノヌシを別神とした意図は何だったのであろうか。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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