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詳細
閲覧数:1808
ID |
AN10533924-20030300-1007 |
アイテムタイプ |
Article |
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タイトル |
朝廷儀礼と豊臣政権―聚楽亭行幸の準備段階の分析から―
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著者 |
北堀 光信
(Kitahori mitsunobu)
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奈良大学大学院生
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学大学院 |
上位タイトル |
奈良大学大学院研究年報
(Annual reports of the Graduate School of Nara University).
Vol.8号,
(2003.
03)
,p.41-
45
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識別番号 |
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抄録 |
天正十六(一五八八)年四月十四日から十八日までの五日間に渡って、豊臣秀吉は京都、内野に建設した聚楽亭に後陽成天皇を招いた。これが秀吉が主催した聚楽亭行幸であり、豊臣政権の天皇権威利用の代表的なものとして、多くの研究、見解がある。しかし従来の研究では、行幸は天皇が移動する朝廷儀礼であるという観点が欠落している。豊臣政権が行幸を利用したことは、当然の如く説明されてきた。しかし、行幸が天皇が移動する朝廷儀礼であるならば、行幸の主催者である秀吉側の意思を朝廷に伝達し、朝廷儀礼に反映させるための公武交渉が派生する。武家側の意向を含んだ形態の行幸を形成するために行われる公武交渉は、誰が中心となり、どの様なもので、武家側の意思はどの様にして反映されたのかという事を、具体的に明らかにしなければならない。行幸形成の公武交渉を明確にすることは、行幸を理解するのに最初に必要なことであるとして、本論を展開した。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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