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ID AN00181569-19731200-1009
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タイトル 近世における山割に関する歴史地理的研究: 奈良盆地東北縁の鉢石山の場合
別タイトル
A Historico-geographical Study on the Division of Common Forest in the Edo Era: In the case of Hachiishi-yama on the north-eastern corner of the Nara basin
著者
野崎 清孝 (Nozaki kiyotaka)
文学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.2号, (1973. 12) ,p.103- 116
識別番号
ISSN
03892204
抄録 近世の山林原野は秣・刈敷肥料,さらには燃料,屋根材等の供給源として当時の農民生活にとって必要不可欠の存在であった.奈良盆地の平地農村では大和高原・金剛山脈等,周縁山地に数か村持の入会山あるいは一村持の村山をそれぞれの集落や耕地から離れて所有し,これを村落共同の採取地として利用した.入会山の起源に関しては画一的に論ずることはできないが,古島敏雄は中世末から近世初期にかけて耕地の拡大にともない,それまで名主的経営のもとに隷属していた下人層の本百姓化が進行し,名主の私的所持のもとにあった山林原野は次第に本百姓による共同利用地に変質したことを述べている.入会山は原初的には入会数か村の共同利用すなわち総有であって,この利用形態を法学上は総手的共有と呼んでいる.もともと山林原野は入会権を有する数か村または一か村全体の所有であり,生活空間の中でその構成要素としての役割を果たしていた.今日,奈良盆地周縁山地の入会山あるいは村山が中世末から近世初頭にかけて,いかなる形態をとっていたかを史料の上から明らかにすることは困難である.奈良盆地は乏水性の小河川に潅概を依存しなければならなかった地域のこととて,当然水利との関係が考えられるし,また神社の境域であった山林原野が入会化したものもあったように察せられる.
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 2号
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