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ID |
AN00181569-19741200-1021 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-19741200-1021.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 430.3 KB |
Last updated |
: Nov 19, 2010 |
Downloads |
: 1467 |
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タイトル |
人称の世界
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別タイトル |
The category of person in Japanese |
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著者 |
木村 紀子
(Kimura noriko)
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文学部
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版 |
Publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.3号,
(1974.
12)
,p.15-
25
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識別番号 |
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抄録 |
古来、日本の神々はさまざまの意味で「ひと」的だった。むろん、神話は、それを語る言葉が、所詮は人の世(問) を成し、人の世で成されたものであるという側面でみれば、おのずからその言葉の中に人の世を映して語られてゆくだろう。記紀の神代の物語は、もっぱら神々にかかわっているはずであるのだが、その神々がある時には唐突に「人」だったりもする。みとのまぐはいの場の伊耶奈美命は、「女人の先に言とへるはふさわず」と言われ(記) 、天石窟にこもった日神は、磐戸の前の諸神のさわぎと天児屋命の神祝きに、「頃者、人多に申すといへども、未だかく言ふことの麗美しきは有らず」と磐戸をあける(紀)。記紀の漢字表記ということからすれば、象形文字である「人」の字解からして、神もまた二本足で立つ「人」であるというのかもしれない。ただ、神代記紀が「ひと」という語の使用についてまったくの不用意無反省だったかといえば、多くはない両書の「人」の例をみるかぎりそうとばかりはいえない。一般に神々の名の下につける呼称にはカミニくコト両用あって、皇祖孫の系譜意識がたつ場合にはミコトを、宗教的呪術効果を期するときにはカミを用いる傾向があるといわれ、書紀は「尊」に、古事記は「神」にそれぞれ片よりをみせている。いずれにせよ、ただの人ではないゆえの尊称であるはずだが、それならばなぜ、単に「人」とされることもあるのかを古事記上巻の用例にみてみよう。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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