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ID AN00181569-19751200-1003
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タイトル 軌道修正を迫られる道徳授業
別タイトル
The Moral Teaching is under the Pressing Revision of the Orbit
著者
平野 武夫 (Hirano takeo)
教養部
Publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.4号, (1975. 12) ,p.27- 41
識別番号
ISSN
03892204
抄録 わがくにの教育課程から“修身科”がその姿を消したのは,敗戦の年,昭和20年の12月であった.以来昭和25年ごろまでの5年間は,いわゆる生活経験主義に立つ新教育の進行過程において,“道徳的なるものへの配慮”が教育課程のどこにも見られなかった時期,いわば“道徳教育の空白期”ともいうべき時期であった.やがて昭和25年の中頃から翌年にかけて,このアメリカー辺倒の新教育に対する反省が次第に高まり,“教育活動の全面に亘る倫理的点晴,,の要請は,いわゆる“全面主義道徳教育の時期”を生み出した.しかし道徳教育振興のかけ声が大きかった割には,その実績はなかなか挙らなかった.かくて遂に昭和33年には“道徳の時間”の特設を見るに至ったことは周知の通りである.それから今日まですでに18年の歳月が過ぎたが,この間、道徳の時間は,初期の生活指導的性格から学習指導的性格へと,漸次その性格を転換させ,今日ではほとんど“教科”と何ら異るところのないものに変貌しているといっても過言ではないと私は考える.そしてその授業実践には漸く平板化のきざしさえ見られるに至っていることは今や誰も否定できないであろう.思えぽ戦後30年に亘るわがくにの道徳教育が歩んだ道は文字通り“いばらの道”であったというべきである.“道徳の時間”を特設することの当否については,教育学的には今日なお多くの問題を残しているが,その実践のいとなみは一応軌道に乗り,漸次小・中学校の現場に定着しつつあるといってよいであろう.もとよりそれはあくまで“一応の軌道”というに止まり,それが真に地についた実り豊かな緑の広野であるというには,なお程遠いといわねばなるまい.この“道徳の時間”が今日見られるような平板化の傾向を克服して,真に道徳実践力の根基に培かう力動的な授業実践となるためには,その授業実践の軌道を修正する必要があると私は考える.“軌道修正を迫られる道徳授業”――この発想こそ道徳時間の平板化を克服する基本の構えであるというべきであろう.以下私は10の観点から道徳授業の現状を反省し,その実践の軌道に修正を要請しようと思う.
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 4号
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