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ID |
AN00181569-19771200-1005 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-19771200-1005.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 351.7 KB |
Last updated |
: Nov 22, 2010 |
Downloads |
: 2732 |
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タイトル |
如来蔵・仏性の開発
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別タイトル |
On the Enlightenment of the Buddhadhatu |
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著者 |
市川 良哉
(Ichikawa yoshiya)
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文学部
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.6号,
(1977.
12)
,p.52-
61
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識別番号 |
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抄録 |
一般に,如来蔵思想系経論の基本的立場はパーリ『増支部経典』にのみ伝えられる,次ぎの如き,心性本浄客塵煩悩説に遡源される.
比丘衆よ,この心は極光浄なり(pabhassaram idam, bhikkhave, cittam).而して其は客の随煩悩に雑染せられたり.
比丘衆よ,この心は極光浄なり.而して其は客の随煩悩より解脱せり.
これはまた,同経典に続いて次ぎの如く述べるのに趣旨は変らない.
比丘衆よ,この心は極光浄なり.而して其は客の随煩悩に雑染せられたり.無聞の異生は如実に是を解せず.故に無聞の異生は心を修せずと我は言ふ.
比丘衆よ,この心は極光浄なり.而して其は客の随煩悩より解脱せり.有聞の聖弟子は如実に解す.故に有聞の聖弟子は心を修すと我は言ふ.
これは,のちに『舎利弗阿毘曇論』巻27緒分仮心品第7に,下の如く引用されているのもよく知られている. |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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