Uber die von Schleiermachers padagogischen Einwirkungen aus betrachtete Selbstbildung
著者
田井 康雄
(Tai yasuo)
教養部
版
publisher
出版地
奈良
出版者
奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.1980,
No.9号
(1980.
12)
,p.124-
136
識別番号
ISSN
03892204
抄録
教育の対象としての人間(子ども)がいかなる存在であるのかという問いは,きわめて基本的かつ重要でありながら,しかも,いつも不完全たらざるをえない問題領域にあるかのように思われる.それはいうまでもなく,人間が多面的な性格をもち,多様な活動をなしうるためであり,それが,人間は「開いた問い」(offene Frage)といわれるゆえんでもあろう.そこで,このような存在である人間の自己形成について論じる場合も,同様に様々の視点から多様にアプローチすることが必要であると考えられる.その第一段階として,本小論においては,教育的はたらきかけからみた自己形成について,シュライエルマッハー(Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher, 1768-1834)の思想に基づいて考察を行なうことにする.最近の教育界において,教育のあらゆる問題について,子どもの自発性を前提にすることは自明のこととされている.しかしながら,「子どもの自発性」がいかなるものであり,いかなる意味をもつかについてはほとんど論及されていないようである.このような問題点を克服するために,シュライエルマッハーの思想は適当なよりどころを与}てくれる.シュライエルマッハーは彼の教育思想を教育的はたらきかけと,人間(子ども)の成長・発達との両面から総合的にとらえている.また,その背景には,人間性に基づく宗教理論が重要な意義をもつと考えられる.ここに,まさに,自己形成のあり方の根源が示されているのである.すなわち,自己形成を自発性からのみ漠然ととらえるのではなく,自発性(Spontaneitat)'と受容性(Reze-ptivitat)の相対的相互関係のうちにとらえる視点にたったシュライエルマッハーは,人間のもつこのような自己形成の基本的構造を認識したうえで,人間の成長・発達と,それに基づく教育論を展開しえたのである.
つまり,自己形成を論じるためには,分析的・微視的視点とともに,総合的・巨視的視点から,人間の成長・発達及び教育をとらえねばならず,そのような視点を満足するのが,シュライエルマッハーの教育思想なのである.このことが,ブレットナー(Fritz Blattner)に「シュライエルマッハーの教育学はヘルバルトの教育学より,はるかに高くその時代の収穫を示している.」といわしめたのである.