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ID AN00181569-19861200-1009
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Last updated : Nov 8, 2010
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タイトル 宗教における思想と脱自について
別タイトル
Thought about and Awakening in Religion
著者
市川 良哉 (Ichikawa yoshiya)
教養部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.15号, (1986. 12) ,p.1- 17
識別番号
ISSN
03892204
抄録 親鷺の主著『教行信証』は浄土教系の経典・論書・注釈書からの引用により成っているが、もちろん全体の構成は親鸞の一貫した思索によって終始している。そうした中で、大乗経典の『涅槃経』からは三十三もの文章を引用している。とりわけ目を見張るのは、信巻における極めて長きに亘る阿闍世王伝承物語の引用である。この伝承物語は、直ぐ後で見る如く、阿闍世王の父親殺しという尋常ではない非日常的事件から始まっている。そのことに、まず注意をよびおこされる。王自身はそのことにより罪の自覚を深め、煩悶苦悩する。そして、遂に仏陀の教えに触れ、大きな転換(回心)を経験するという筋書きになっている。したがって、これは道徳的宗教的にみて、人間の問題がどこにあるのか、回心はそれをどのように克服転換せしめる経験なのか、そのような諸点に大変興味深い内容をもっている。これを引用した親鸞の意図についての宗学研究者の見解は大同小異である。その一般的な理解は、阿弥陀仏の第十八願文中の抑止文といわれる「唯除五逆誹謗正法」の解釈に関連して引用されたと見る。すなわち、抑止文の解釈の具体的例として『涅槃経』を引用するというのである。
教学的立場からのそうした理解に、小論は特に異論をはさもうとするのではない。この部分の引用とその解釈を取り上げ、それを手がかりにして宗教思想研究に一つの展望を開くことを目指そうとするものである。
宗教思想と呼ばれるものは、宗教学の立場からは、「宗教における知的な認識の側面」を指すものと考えられる。人間が、自己および自己のおかれている状況・世界について考える。あるいは、そこでの生きる意味について知る。さらに、確信をもつ。そうした知的な働きが宗教思想を生み出したと考えるのである。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 15号
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