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ID AN00181569-19910300-1017
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タイトル 中国企業労働者の意識構造: 所属企業(工作単位)の社会的意味付けをめぐって
別タイトル
The constitution of consciousness in Chinese workers
著者
松戸 武彦 (Matsudo takehiko)
社会学部
publisher
出版地 奈良
出版者 奈良大学
上位タイトル
奈良大学紀要 (Memoirs of the Nara University). Vol.19号, (1991. 03) ,p.271- 286
識別番号
ISSN
03892204
抄録 1989年6月4日の天安門事件を一つの起点とし、その後およそ一年半に亙る東欧社会主義圏の急速な崩壊と変質は、われわれ西側社会に暮らしている人間にとっても目を見張るものがあった。そして、そうした急激な社会変動が、社会科学者に社会主義とは何か、という問いを改めて呼び起こしたことも自然な流れである。しかし、この問いは、少し考えるとわかるようにわれわれ西側社会の優位を称賛したり、あるいは過去の遺物になろうとするものに対する回顧的な興味によって発せられたのではない。むしろ、崩壊しつつある社会主義社会はその崩壊過程の中でわれわれ西側社会の自己理解のための鏡としての役割を演じたように見える。たとえば、市場という制度はわれわれの社会の中では経済制度という限定した視点から問題にされることがほとんどである。しかし、市場という制度がほとんど機能していなかった社会の崩壊を目の当りにし、そこでの人々の不満のありようをみると、経済分野に限定されない、社会的世界での、その役割の大きさに気づかされる。われわれは、市場という"現象"によって自分の持つ資産の少なさ、社会的地位の不十分さ、等々に自分なりの納得をつけ、一種の社会的公正感を抱き続けることができていることに気づく。言い換えれば、われわれの社会では、市場は自分に関連してくる諸々の事象に自分なりに得心を与え、社会的公正感を生み出す社会的装置の一つとして働いていたのである。もちろん、このことは、今まで社会科学者の間で全く気付かれなかったというわけではない。ヴェブレンを先達とする制度学派の議論や近年のラディカル経済学の問題意識はこのことを当然問題にした。しかし、社会主義社会の崩壊過程は、この議論に強烈な現実感を与えた。
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
Index
/ Public / 奈良大学紀要 / 19号
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