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詳細
閲覧数:2904
ID |
AN00181569-20020300-1001 |
アイテムタイプ |
Article |
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本文 |
AN00181569-20020300-1001.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 461.9 KB |
Last updated |
: Dec 3, 2009 |
Downloads |
: 6896 |
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タイトル |
カントに見る認識の限界と美の判定:「近代知」の原型の問題
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別タイトル |
The Limitation of Recognition and the Judgmento of the Beauty in Kant's Critical Philosophy: As a prototype of modern thinking |
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著者 |
松井 春満
(Matsui harumaro)
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教養部
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版 |
publisher |
出版地 |
奈良 |
出版者 |
奈良大学 |
上位タイトル |
奈良大学紀要
(Memoirs of the Nara University).
Vol.30号,
(2002.
03)
,p.1-
14
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識別番号 |
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抄録 |
近代主義に対する批判は既に終息したように見えるが必ずしもそうではない。そして現代文化の中では、例えばポスト・モダンに通じるエコロジーの思想とモダンの先端をいく人工的な生命科学とが併存するような現象が至る所に見られる。哲学上のモダンの思考の基礎づけはデカルトによってなされたとしばしば言われるが、今一人、近代思考の代表であったカントが果たした役割についても再評価されてよいのではないだろうか。ここでは、主としてカントが三つの『批判書』において説く「物自体」という特異な概念に示される思考構造の問題と、彼の「美」についての思想を採り上げたのであるが、前者の中には、後に近代主義が陥っていく科学の全能信仰への抑制ないしは警告となりうる、厳しい「認識の限界」についての議論が存在すること、また後者の中には、むしろポスト・モダン的思想につながる「間主観性」の概念の兆しが見られること。この二点を本稿で考証してみた。カントの思考法から推測する限り、近代主義の弊は近代思考の進展がその途上で道を誤ったことから生まれたのであり、近代的「知の原型自体」の中には未だその弊は見られないと言ってよい。この仮説は近代主義批判の議論に一つの示唆を投げかけるものとなる。 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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